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若林宏行先生インタビュー第二弾

ISSUE 2「価値証明というもの」

 

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富田       デモンストレーションのセッションでのTさんとのやりとりを見ていて、彼女の思考というか、頭の中をまさに分析で切っていったっていうやり方で進んでいったことに対して、人間なんだからああいう感じで何でもかんでも機械的に分析的にやっていくということはいいんだろうか?もっと人間って、違うもんなんじゃないか。あそこにまさに共感だったり、寄り添うだったりみたいなことはなく、分析的にああいうふうにぶった切っていくっていうのは、人間対人間としてどうなんだみたいなね。

若林    人としてね。

富田     ええ、人としてどうなんだ?みたいなそういう意見もちょっとあったりとかして面白かったんですけどね。それはどのように我々解釈すればいいでしょうか?

若林    あの分析なんていうのはツールなんですよね結局。一つのメジャー(物差し)なんですよ。でもやっぱり共通した目盛りがなければみんなわけわかんないですから。つまり無意識の中って、前も言ったように曖昧になっちゃってるから、ひとつの枠とか物差しとして測ってるんですね。やっていることは、そうなるとどうなるの?どうなるの?って、同じ質問ばっかりしてるんですね。で、結局あの内容を答えているのは本人なんですよね。そこにいい悪いって私つけていないですよ、ただこう出ているでしょ?って。で、こうなっているんじゃないって。で、さっきの仕組みから当てはめるとこうでしょうって、ただ言っているだけなんですけどね、実際は。それで今起こっている現象、その人が言ってることを見てみると、ほら、鏡みたいに見えるでしょう?っていうことをただ言ってるわけです。もちろん共感っていうのもやっぱりすごく大事だし、まず最初の段階でそういう共感がなければ、それはもちろん関係は作れないですよね。じゃあTさんが言っていた内容が真実だったか?っていうと真実じゃなかったですよね?。

富田    そうですね。

若林    それに対して気持ちとしてはそうなんだよねっていう共感することもベースにあるんですけども、それをし過ぎちゃうとそれが真実になっていっちゃうんですよね。やっぱりあいつが悪いんだみたいな、あいつが悪いから仕事が進まん、みたいな。そこで終わっちゃうわけなんですね。そうするとその思い込みを強化していっちゃうこともあるんですよね、気を付けないと。で、これは何のためにやっているかと言うと、共感してもらうためにやってるんじゃなくて自分を知るためという前提のやり方なので、やっぱりある程度自分を掘り下げていくっていう覚悟がないとダメなんですよね。確かにカウンセリングのひとつの目的としては自分はダメなんだと思っちゃっている人に、例えば共感されて、ああ、わかってもらったっていう気持ちになって、少し余裕が出て、それによって客観的に自分を見られるようになるっていうのもある。だから共感とかそういうのはすごく大事なんだけども、それだけで終わってしまうと先に進めなくなっちゃうことも多いんですよね。そうすると、無意識は上手に逃げてますから実は答えを出したくないという目的でセミナーに来てみたりとかね、そういうこともあったりするんですよ本当に。

富田    デモセッションだけじゃなくてね、多分これは能力が優れている優れていないじゃなくて、自分を深くそういうふうに分析をした、もしくはされた経験がある人っていうのは、わりとはっきりと、ああ、この人は結局こういう目的で今、今日この場に来ているんだなとか、ああ、今、今の趣向がこちらのまた別の方に行ったというのは、これを回避したかったんだなみたいなものが、自分を1回切られた人っていうのかな、経験があるとすごくはっきりわかって面白いセッションでしたね。

若林    そうですね。切られないとわからないです。でも、切られるとみんな、ああ、そういうふうに逃げてるんだってわかる。結局本当は答え出したくないんだろうなっていうケースはけっこう多い。よく見ていくと答えを出したくないという行動になっているんですが一見するとこういうところ(セミナーやワークショップ)に来てるから答えを出すために来ているという前提に我々の方が縛られてしまってみえなくなってしまうのだけれども、自分が切られたことがあると自分の前提さえもひっくり返して見ることもできるようになるので気づけるようになるんです。

富田    答えを出さないために来るっていうことがあるわけですよね。

若林    そう、セミナーに出ることによって答えを見つけようとしている自分に安心しているということもあるわけなんですよね。でも答えを出さないと先に進めないってどこかでわかってるからセミナーに出るんだけど、やっぱり怖い。

富田    そういう人っていうのは、どうすればいんですかね?どうするわけもなく放っといちゃってもいいってことですかね?

若林    ひとつは待つということですよね。本人がそういう気持ちになるまで待つというのとか、本人の意思を大事にすることが前提ですけどもね。ただ、チクチクとはヒント与えますけどね。じゃあ答えを出しちゃうと最悪どうなる?って。答えを常に求めるという状態をし続けないと自分を保てないと無意識は思っているんですよね。だから答えがなくても実際は生きてるし別になくても生きていけるみたいなところまでなれないと自分をちゃんと見れないんですよ。別に答えがなくても人生の意味や価値なんかわからなくたって実際は生きているし、実際仕事してる。意味や価値を越えて自分はすでに存在していて、その存在のままでいられるまでにならないとダメなんですよ。そうしないと常に存在意義とかそういうことばかりを探し続けて目標をつかんだらまた次見つけなきゃ、次見つけなきゃとグルグル繰り返されてしまう。

広岡    出したくないけど出したい、出したくないけど出そうと思っている?

若林    そう、アンビバレントなことが起こっている内面で。で、じゃあ素直に出しゃいいじゃんって話になるんだけど、たいていその根底にはそれを出しちゃうことによって何か崩れるんじゃないかとか、自分というのは価値が無いとかそういうのがあって、それを出しちゃうとそれをもろに認めることになっちゃうんですよ。で私たちはなにやってるかというと、じゃああなたの持っている価値がないって具体的にどういうこと?とか今の現実と照らし合わせてみたらあなたは本当にそうなんですか?とか、そのあなたの思っている前提は本当にそうなの?ってきちんと見たときに、別にどうでもいいってわかるんですね。ああ、どうでもいい、別にこんなことにこだわらなくてもいられるって。そこまで掘り下げないで上辺だけのことを扱って、辛いよね、大変だよねってやっても、結局そのスイッチが入っちゃえばまた自分には価値がないって始まっちゃうんです。だから私が機械的にやってるというのはその先を見てるから。親に言われたからダメだとか、周りと比較されてこうだからそれで苦しい、こう言われた悲しいってところでグルグル回っているんじゃなくて、それはただ単に言われただけであなたの真実は違うよっていうところを見てるから、それがわかってるから鬼のようにやれちゃうんですねズバズバズバズバっと。

富田   その奥に本当のその人があるっていうのを信頼しているからこそ、表面的なものが機械的にバサバサバサって切っちゃう。

若林    ええ、だって付き合っていたらきりがないもん。ある程度は付き合いますよ、もちろん、そこまで鬼じゃないから。

富田    見た目に表れている幻想みたいな、グルグル回っちゃってとらわれてる思考に付き合っているのは、表面的には共感しているし寄りそっているし、ケアをしているとは見えるかも知れないけれど、本当の意味では結局苦しめちゃっているだけ、反対に。

若林    下手をするとそういうこともありますよね。

富田    そこじゃなくて、もっと本当はそうじゃないだろうと、あんたそういう人間じゃないだろう。

若林    うん。だからセラピストは鏡になることだとよくブログに書いているんですけど、結局分析しているっていうのは、その人がどういう風に自分をとらえているかっていうのを探っているんです。あの思考パターンというのは鏡に映っている自分の姿をその人がどう捉えているかをあらわしているんですよね。でその捉え方が現実とはかなり違ってゆがんでいるので私はあなたが見ているのとは違うよって、私にはあなたはOKに見えるよって。今現在のあなたの事実をきちんと見せるためにその幻想を切っているんですよ。ちゃんと見ろみたいな作業しているんです。

富田    おもしろいですね。

若林    みんな怖いからなかなか向き合わないですけどね。

 

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広岡    答えを出したらどうなりますか?

若林    

広岡    そういう答えを出すことが怖い人が、答えを出したらどうなるんですか?

若林    どうなると思います?

広岡    どうなるんだろう?

若林    ひとつは今までの自分のアイデンティティーの死ですよね。

広岡    死?

若林    死。

広岡    デスですか?

富田    デスです。

若林    カウンセリングの世界というのは、ある意味死の場面です。そもそも変化ということは今までの自分と思っていたものが死ぬことなんです。真実だと思っていたことを否定していっちゃってるわけですからね。でも、それを否定してみて事実と確認してみないと歪んでみていることがわからないんです

広岡    それは、教えてあげることはできないんですか?自分で気付く?

若林    自分で経験するしかないです。なぜかと言うと自分が無くなってしまうんじゃないかという恐れを持っているから。高速道路で運転するのが怖い人に今の車はエアバッグあるし大丈夫っていくら言ったってダメでしょ?実際に運転しなきゃ。

広岡    そうですね、経験しないとわからない。

若林    そのままの自分でいられるようになるには自分で繰り返し経験して確認していかないと。理論っていうのはとりあえず納得させるだけのものであって大丈夫なんだっていう経験を繰り返し積んでいって、腑に落としていかなきゃ。自分を証明しなくても、自分をいちいち確認しなくても自分という存在は現実に存在していて、その自分でいてもほとんどは大丈夫なんだっていうのが実際にわからなきゃしょうがないですよね、でしょ?だって私たちってすぐに情報に振り回されちゃうじゃないですか。テレビを観ると、観る前は心穏やかだけど観た瞬間になんか地震が起こったニュースとか観ると、ああ、かわいそうとか心がすぐに揺れる。観る前と観た後じゃ何が違うの?自分自身の肉体的には何も変わっていないでしょう?その情報を認識したかどうかの違いだけじゃないですか、でしょ?あなたの何が変わったのって、別に変わっていないでしょう?情報に振り回されて人生終わっちゃうよって。これまでに思い込みを落としていった人を見ていくと、自分を証明するとか確認することをしなくてもいられるようになってきます。ただ単に存在していること自体で安心感が出てくる感じです。そうなってくると常に何かをしてなきゃいられないっていう状態がなくなってくるんですね。別に何もしていなくてもただなんかこうやっていられることが心地いいとか、すごくなんか穏やかだなとか。でも、今までだったら何か勉強しなきゃいけない、何かひとつでも覚えなきゃいけない、何か役に立たなきゃいけないって、ずっとやっているでしょう?常に何か意味や価値をみいださなきゃって何かを残さなきゃって強迫的に繰り返している。でも例えば1億年後あなたの業績残っている?残んないですよ。また人間の死亡率って100パーセントなんだから、だれでも遅かれ早かれ必ず死ぬんだから結局自分を最大限活かせるのは今しかないですよね。

 

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広岡    この間のデモンストレーション、あれは催眠ですか?

若林    そもそもあの方は現実を見ていたんですか?

広岡    現実は・・・見てない、見ていないでしょうね。

若林    でもTさんはああいう状態に対して、現実に反応していたわけでしょう?うん、それがほとんど日常的に起こっているよって話。

広岡    例えば参加者全員でおこなったワークで、目の前に苦手な人がいるという想定で、最初は怒っていたり恐い表情をしていたイメージだったのが、どうして近づいていくと怒っていなかったり笑っていたりするんですか?

若林   苦手ということはその人から逃げていたり抵抗しているんでしょ?で、その人に近づきたくないとかその人が嫌だということ自体が私はこの人のようなひどい人間じゃないんだとかこの人とは違うんだって証明しようとしているんですね。ということは事実かどうかは別にしてその逆の前提が無意識に抑圧されてしまっている。この人と同じものを持っているとかこの人と同じだという前提がでもってそうなりたくないから逃げたり抵抗している。

広岡    近づいたときに表情が変わるのは、自分がそこを認めたからですか?

若林    そう。それを行動と感覚で味わっちゃうから変わっちゃうんですよ、理屈だけじゃなくて。

広岡    例えばずっと表情が怒ったたままの人もいるのですか?

若林    うん、別のパターンのこだわりを持っていたりすると。

広岡    全員同じパターンじゃないんですねえ。

若林   はい、あともうひとつは、現実にその怒っている人が目の前にいたら変わらないですよ。近づいても遠くでも、ああ、怒ってるみたいな、これは現実だから。

広岡    実際いたらすごい怖いと思いますけど。

若林    しかもそれに近づくと言うのはかなり勇気がいりますよね、でもそれはそれで現実なんで現実的に対処しなければいけない。

富田    若林さんのブログにも書いてあったんだけど、なんでああいうふうに一瞬で、一瞬でというか、変わったかというと今起きている現実じゃあないからですよね。

若林    そう、だからあんなに変わっちゃうんです。

富田    幻想、幻想だから一瞬で変わるでしょ。

若林    もし本当にその部下が目の前にいたら、てめえこのやろうとか思いながら近づいても現実にいるんだからむかつく。もちろん離れてもむかつく。だって実際にいるんだもん。物理的に。でも幻想だからあんなに変わるんですよね。やっぱりルビンの壷ですよね。要は違う見方もできるようになっちゃうってことだと思うんですよね、近づくと。

広岡    近づくと違う見方ができる?

若林    うん。

広岡    なぜでしょう?

若林    ルビンの壺という絵で壺を認識するときには顔の部分を抑圧しないと壺として認識出来ないという仕組みがあります。嫌いな人の色々な面が見られなくなっているのは壺の部分と顔の部分、つまり地と図が固定化されて動かない状態なのです。近づくというのは嫌いな相手が壺の部分だったら自分が顔の部分となっていて近づいてしまうと地と図の差がなくなり一つ面になってしまうので壺や顔って認識できなくなるので意味そのものが消えてしまうのです。一度意味がなくなってしまうと固定化されなくなるので図と地を自由にひっくり返すことができるようになるのでその人の色々な面が見られるようになるのです。まあこれも自分が作っているものだから変わっちゃうのですけどね。

広岡    自分で作っているんですね、全部。

若林    そう、脳の仕組みなんですかね、距離と恐怖感というものが何か関係しているんでしょうね。そうそう昔インドの皇帝が、壁に横一本の線を書いたんです、ピーって。それで、頭のいい人を呼んでこの線に触れずに短かくしろ、誰から見ても短かくしろと言われました。で、その時にみんな頭のいい人達は考えたんだけど、誰も答えを出せなかったんです。でも、たまたまピエロみたいな人達がいて、その中の1人が解いちゃったんです。何したと思いますかって話です。

広岡    え!......なにをしたんだろう。

富田    はいはい。あ~。はいはい。

若林    宿題です。これ。

広岡    う.........。

富田   若林先生、今日は本当にありがとうございます。また是非第二弾を。既にリクエストが殺到してますので。

若林    ありがとうございました。

 

                                            インタビュー後記

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